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ー自然豊かな懐に包まれたお寺
 

 
 
日蓮宗初香山本遠寺 法語

あるラジオの番組で相田みつを氏の息子(一人かずひとさん)が語っていました。

父は、目に見えないものを大切にしていました。

「見える部分より見えない部分のほうがはるかに多い。

父は、おかげさんという言葉がすきでした。

反対におもてさん言う言葉はない」とよく言っていました。

昔から日本人は、見える部分より見えない部分を大切にしてきました。


令和3年01月29日

回生           

塔 和子

 

ある日

葉を落とした木は

もうおしまいのように見えた

恋人を失った女は

本当におしまいだとつぶやいた

でも春になって

芽吹いている木々や

新しい恋人といる女を見た

おしまいになったものはなにもなかった

ある日

鳥はうたれた

草の穂は散ってしまった

でも

五月の山野は

巣立った鳥と

咲き乱れた草花に飾られて

あまい匂いを発散した

おしまいになったものなどなにもなかった

私の夏

私の秋

私の冬

私の春

不安と期待の交差した狂おしい四季

始まったときに終わりを抱いている残酷さを見て

終わったときもう始まっている

回生の初々しさと優しさに寄りすがった

今日

真夏の光の下に立つ

おしまいになってしまったものは

なにもなかった

 

(一九二九・八~二〇一三・八 本名井土ヤツ子 

生涯ハンセン病の施設で過ごす。夫の勧めで詩作を始める)

平成30年03月29日

花は黙って咲き

黙って散っていく

そうしてふたたび枝に帰らない

けれども

その一時一処に この世のすべてを託している

一輪の花の声であり

一枝の花の真である

永遠にほろびぬ

生命のよろこびが

悔いなくそこに輝いている

 

柴山全慶『禅心禅話:花語らずより』


平成29年03月06日
本遠寺本堂の脇にある掲示板にとてもいい詩だと思い掲示してあります。

「航海を祈る」

それだけ言えば分かってくる
船について知っているひとつの言葉
安全なる航海を祈る

その言葉で分かってくる
その船が何処から来たのか分からなくても
何処へ行くのか分かってくる

寄辺のない不安な大洋の中に
誰もが去り果てた暗いくらがりの中に
船と船とが交しあうひとつの言葉
安全なる航海を祈る
それを呪文のように唱えていると
するとあなたが分かってくる

あなたが何処から来たのか分からなくても
あなたを朝明けのくれない極みのように愛している
ひとりの人が分かってくる
 
あるいは荒れた茨の茂みの中の
一羽のつぐみが分かってくる
削られたこげ茶色の山肌の
巨熊のかなしみが分かってくる

白い一抹の航跡を残して
船と船とが消えてゆく時
遠くひとすじに知らせ合う
たったひとつの言葉
安全なる航海を祈る

 

村上昭夫 1927〜1968
1968年詩人の芥川賞ともいうH氏賞を受賞
詩集「動物哀歌」所収


平成27年12月31日
本遠寺本堂の脇にある掲示板にとてもいい詩だと思い掲示してあります。
町田 順文

日蓮宗初香山本遠寺 法語

一本の木を見つめていると
神とか仏とかいうものが
よくわかってくる
見えないところで
その幹を
その葉を
その花を
その実を
作っていってくれる
根の働きは
見えないところで
私たちを養って下さっている
神とひとしく
仏と同じである
見えないものを見る目を持とう
見えないものを知る心を持とう

坂村真民さんの詩 「一本の木を見つめていると」

平成26年12月25日
本遠寺本堂の脇にある掲示板にとてもいい詩だと思い掲示してあります。
町田 順文

祈りの歌

人生の成功を手に入れようと、強さを求めたのに
与えられたのは弱さだった、謙虚であるように

偉大なことを成し遂げようと、健康を求めたのに
与えられたのは病気だった、何が偉大か学ぶように

幸せになりたいと、富を求めたのに
与えられたのは貧しさだった、足ることを知るように

世の賞賛を勝ち得ようと、権力を求めたのに
与えられたのは無力だった、得意にならないように

満たされた人生を送りたいと、すべてを求めたのに
与えられたのは私のこの人生、受け入れることを学ぶように

求めたものは何ひとつ与えられなかったけれど
確かに祈りは聞き届けられた、すべてが与えられた

こんな拙い私なのに、祈りはすべて叶えられた
気がつけば大きな恵みを、私は生きている

求めたものは何ひとつ、与えられなかったけれど
確かに祈りは聞き屈けられた、すべてが与えられた

アメリカ南北戦争時代の無名兵士の詩を三浦久氏が訳したものです。

平成23年12月29日
本遠寺本堂の脇にある掲示板にとてもいい詩だと思い掲示してあります。
町田 順文

「どじょうがさ金魚のまねすることねんだよな」

「みんなほんもの」お釈迦さまは悟りを開かれた時に、この世に存在しているものは、すべて真理そのものとしてあるのだ、と説かれています。山も川も、草も木も、河原の石ころ一つそれぞれにほのもの(諸法実相)としてあるのだと、いわれているのです。つまり、仏さまの眼からみると、にせものなしということです。どじょうはどしょうとしてほんもの、金魚は金魚としてほんもの。どじようが金魚のまねをした時、にせものになるんです。あたなたがあなたであるかぎりほんもの、わたしがわたしであるかぎりほんもの。ほんものより、にせものほうがカッコいい、と錯覚して、一生をダメにしてしまう人間が多いのではないか、と私は思います。

相田みつをさんの「おかげさん」に掲載してある解説文です。野田総理大臣が就任時にこの「どじょう」を引用し、有名になりましたね。

平成23年10月21日
本遠寺本堂の脇にある掲示板にとてもいい詩だと思い掲示してあります。
町田 順文

―― あなたの「こころ」はどんな形ですか
と ひとに聞かれても答えようがない
自分にも他人にも「こころ」は見えない
けれど ほんとうに見えないのであろうか

確かに「こころ」はだれにも見えない
けれど「こころづかい」は見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為だから

同じように胸の中の「思い」は見えない
けれど「思いやり」はだれにでも見える
それも人に対する積極的な行為なのだから

あたたかい心が あたたかい行為になり
やさしい思いが やさしい行為になるとき
「心」も「思い」も 初めて美しく生きる
―― それは 人が人として生きることだ

「行為の意味・宮澤章二著・青春前期のきみたちに」

ACのコマーシャル
「こころ」は誰にも見えないけれど「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど「思いやり」は誰にでも見える
の原文です。

東北関東大震災の後、テレビから流れるこの言葉を聞き掲示板に貼り出しました。
この災害に尊い命をなくされた人々に深く哀悼の意を表すると共に、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。
平成23年4月1日
本遠寺本堂の脇にある掲示板にとてもいい詩だと思い掲示してあります。
町田 順文

がまぐち


毎年
お正月が来ると
思い出すの

当時 小学生だった倅(せがれ)が
納豆売りをして
買ってくれた
大きな がまぐち
母ちゃんへ 御年玉だよ
って 私に贈ってくれたの

かじかんだ小さな手
吐く息の白さ
弾けるような笑顔

私は 忘れない
がまぐちは
今でも 私の宝物

お金は貯まらなかったけれど
やさしさは
今でも たくさん入っている

柴田トヨさんの詩です。
「先日、相田みつを美術館の柴田トヨさんの世界展へ行ってきました。
展示品の中にこの詩にあるがまぐちを見てとても感動しました。」
町田 順文

こちらから

こちらからあたまをさげる
こちらからあいさつをする
こちらから手を合わせる
こちらから詫びる

こちらから声をかける
ずべてこちらからすれば
争いもなく
なごやかにゆく
こちらからおーいと呼べば

あちらからもおーいとこたえ
あかん坊が泣けば
お母さんがとんでくる
すべて自然も人間も
そうできているのだ
仏さまへも
こちらから近づいてゆこう
どんなにか喜ばれることだろう

「こちらから」 坂村真民氏
詩集「念ずれば花ひらく」より
 
本遠寺本堂の脇にある掲示板にとてもいい詩だと思い掲示してあります。
町田 順文

 

   
   

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